バブル
産業革命
16世紀のイギリスでは毛織物が流行していました
富裕層は田舎の土地を買い上げて羊をそだてました
田舎者は工場で手作業(分業)の仕事をしていました
18世紀になると手作業から機械作業に変わりました(産業革命)
株式会社の誕生
当時の航海は破船リスクがあり、なんの成果も得られないこともありました
しかし膨大なコスト(船員の手配、船のメンテナンス)がかかるので、航海するための出資を募りました
株主は、航海が成功したときには多くの分けまえをもらえますが、失敗したときは出資額以上の損害を受ける可能性がありました
(たとえば、航海に使う装備をレンタルして紛失した場合、弁償代金などが出資者に連帯責任でかかるケースがありました)
16世紀の東インド会社は「有限責任(出資額以上の損害を株主は払わなくて良い)」という仕組みを作ったおかげで大量の資金を得て、大掛かりな事業に取り組むことができました
資本主義のバブル(チューリップ事件)
16世紀、富裕層にはチューリップが人気で、中でも珍しい柄のチューリップは高値で取引されていました
チューリップの球根に関して投資的な高額取引が発生し、一時期は家1件と球根1コが同じくらいの金額になりました
チューリップ本来の価格を遥かに超えていたため、1637年2月にバブルを迎え、価格はピーク時の100分の1にまで下落しました
資本主義のバブル(南海泡沫事件)
16世紀、南海会社というイギリスの会社が株券を初めて作りました(国債と交換できる券)
株券の価値が上がっていったため、「私も株券をつくって設けたい」と考える人が増え、株式会社を設立し、株券を発行するところが増えました
許可制だった株式会社を無許可でつくるところが増えたため、イギリス政府が罰則をあたえたところ、違法株式会社の株券の価値が無価値になりました
その影響で、株券全体の価格が暴落しました
資本主義のバブル(世界恐慌)
第1次世界対戦の舞台であるヨーロッパは多くの人がなくなり、土地も経済も荒れ果てました
第1次世界対戦で大きなダメージのなかった米国はヨーロッパに軍隊や物資を送って莫大な利益を得ました
投資家たちはアメリカ企業にこぞって投資をし、株価が急上昇しました(株価は5年間で4.32倍に上昇)

時が経ち、ヨーロッパが復興し、米国製品を買う必要がなくなりましたが、米国ではヨーロッパに売るために製品を作り続け、投資家たちも好調な米国の成長を疑わずに株を買い続けました
米国企業の成長は止まっていたのに株価だけが上昇しつづけました
1929年10月24日、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落しました
会社はつぎつぎと倒産し、1930年は430万人、1931年は800万人、1932年は1200万人の失業者が出ました

第1次世界他院戦後、米国はヨーロッパ(被災地)に資金を貸し出していました
ドルの値段が暴落したため、ヨーロッパにも被害が及びました
米国と貿易をしていた日本などの各国も不況になりました
資本主義のバブル(日本バブル)
第2次世界対戦後の日本はその後急速な復興をし、1967年(戦争後から20年)にはGDP世界2位の経済大国となりました(東洋の奇跡)
1980年代に入っても好景気であり、土地や建物の値段が上昇し続けました(東京の住宅価格は3倍、商業地は4倍)
しかし日銀が金融引き締め政策し、国際決済銀行BISがバーゼル規制(銀行の自己資本比率を8%以上にすること)を発令したので、日本の地方銀行は急いで現金を回収し始めました
市場にお金が出回らないので企業成長は落ち、1990年に4万円目前だった日経平均は1年で2万円代にまで下落し、2000年代には7000円まで下落しました(バブル崩壊)
土地や不動産の値段も落ちました(不動産を買っていた企業は倒産し、そのせいで不動産にお金を貸していた銀行まで倒産しました)
その後、経済を立て直せず2025年を迎えました(失われた30年)
なぜバブルが繰り返されるのか
株価は期待で決まる
BACK